雲水の井

雲水の井は、京都市上京区の廬山寺本堂の東側にある。
雲水の井(くもみずのい)は、慶光天皇廬山寺陵の前(南)にあり、藤原道長の娘 上東門院 藤原彰子(988-1074)が法成寺境内に建立した東北院のものと伝えられている。

加藤繁生氏は、「廬山寺墓地の石造遺構 ー伝『雲水の井』ーについて」(史跡と美術781号)で、この「下り井戸」について詳しく検証している。
安永9年(1780)に出版された「都名所図会」の廬山寺の図には、寺の後方に「雲水の井」と書き入れられている。
上東門院 藤原彰子は、長元3年(1030)、法成寺の北東一角に「東北院」を建立した。

そして愛娘小式部内侍に先立たれて寂しく過ごしていた女房の和泉式部のために院内に一庵を設けた。
この庵は後に「誠心院」(正式名は「華嶽山東北寺誠心院」)と名付けられ、二度移転して、現在は新京極蛸薬師にある。→ 誠心院

東北院は、その後何度か移転し、現在は洛東真如堂(真正極楽寺)の傍らにある。
東北院境内の「軒端の梅」は、和泉式部ゆかりの梅として知られている。→ 雲水山 東北院 軒端梅

「拾遺都名所図会」に洛東の東北院について、次のような記述がある。
「東北院 極楽寺の西に隣る(中略)
雲水井(くもみずのゐ) 堂前の西にあり
軒端梅 同所にあり
抑(そもそも)いにしへの東北院といふハ上東門院の御願にて御父御堂関白道長公の棲みたまふ法成寺の傍らにつくらせたまふ(中略)
和泉式部塔 雲水 軒端梅ハ今所々にあり みな東北という謡曲によりて後世作ると見へたり
當寺の再興ハ元禄年中也
東北院のわたどののやり水に影を見て読み侍りける
続後撰 影みてもうき我なみだ落ちそひてかごとがましき瀧の音かな 紫式部」  → 紫式部ゆかりの地

加藤繁生氏によると、雲水の井は、現在も数カ所に残されており、廬山寺本堂東側の雲水の井もその一つである。
また、謡曲「東北」に因んで、かつて廬山寺境内に「澗底(かんてい)の松」も植えられていたという。



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