与謝蕪村の墓

与謝蕪村の墓は、京都市左京区の金福寺にある。
与謝蕪村は、天明元年(1781)に、金福寺にあった芭蕉庵を再興している。

蕪村(1716-1783)は、江戸時代中期の俳人、文人、画家である。
姓は谷口、のち与謝(よさ)と改めた。俳号は宰町、落日庵、紫狐庵、夜半亭など、画号も四明、朝滄(ちょうそう)、長庚、春星など数多い。
享保元年(1716)摂津国東成郡(ひがしなりごおり)毛馬村(現大阪市都島区)で生まれた。→ 蕪村生誕地
17、8歳の時に毛馬を出て江戸に下り、夜半亭宋阿(早野巴人(はじん))に俳諧を学んだ後、俳諧と絵画の両面で才能を発揮した。
松尾芭蕉、小林一茶とともに江戸の三大俳人として知られ、「なの花や月は東に日は西に」「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」などの俳句を詠んでいる。→ 蕪村公園
天明3年(1783)に「しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり」の辞世を残し、京都で没した。(享年68歳)



TOP PAGE  観光カレンダー
TOP PAGE  观光最佳时期(旅游日历)