善福寺 「冥途の飛脚」 忠兵衛 供養碑

善福寺 「冥途の飛脚」 忠兵衛 供養碑は、奈良県橿原市新口町にある。
近松門左衛門作の浄瑠璃「梅川忠兵衛 冥途の飛脚」のモデルとなった忠兵衛の出身地が新口村である。→ 新ノ口駅前記念碑 梅川忠兵衛ゆかりの淡路町

梅川忠兵衛 冥途の飛脚は、正徳元年(1711)3月5日に初演された。
実説は明らかでないが、正徳6年刊の「好色入子枕」によると、大百姓増田忠左衛門の長男 忠兵衛が、隣家の浪人の娘 お吉と通じる。
お吉の父は怒り、折檻しすぎて娘を殺してしまう。忠兵衛の父は、対面上勘当と称して忠兵衛を亀屋へ養子にやる。
忠兵衛は身を慎んでいたが、ある日槌屋の屋根に落ちた凧を取りに行って梅川と知り合い、ついには公金を使って梅川を請け出し、大和へ逃げる途中捕らえられて処刑された。
(出典 日本古典文学全集44 近松門左衛門集(2))

冥途の飛脚では、忠兵衛が三百両の封印切の大罪を犯して梅川とともに駆け落ちし、郷里を訪れる場面が描かれている。
新口村の段 「忠三郎内の場」では、次のように浄瑠璃が語られる。
無慚(むざん)やな忠兵衛、我さへ浮世忍ぶ身に 梅川が風俗の人の目立つを包みかね 借駕籠に日を送り、
奈良の旅籠屋、三輪の茶屋 五日、三日、夜を明し、二十日あまりに、四十両 使ひ果たして二分残る
かねもかすむや初瀬山 余所(よそ)に見捨てて親里の、新口村に 着きけるが これ、お梅 こゝは我が生まれ在所(以下略)

橿原市葛本町の安楽寺には、忠兵衛の阿弥陀石仏碑がある。
大阪市天王寺区には、梅川忠兵衛供養墓がある。



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