伊達政宗供養塔

伊達政宗供養塔は、和歌山県高野山奥の院23町石の北東にある。
伊達政宗(1567-1636)は、安土桃山時代、江戸時代の大名で、仙台藩祖である。
永禄10年(1567)8月3日米沢城主伊達輝宗(てるむね)の長男として誕生した。
母は山形城主最上義守(もがみよしもり)の娘義姫(よしひめ)で、幼名は梵天丸と呼ばれた。
天正5年(1577)元服して藤次郎政宗と称し、天正7年(1579)三春城主田村清顕(きよあき)の娘愛姫(めごひめ)と結婚し、天正12年(1584)に家督を相続した。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、徳川家康から刈田(かった)郡を与えられて60万石を領し、翌年仙台城を修築した。
南蛮との通商を行うため、支倉常長をメキシコ、スペイン、ローマに派遣したが、幕府のキリシタン禁教が強化されたため目的を達することができなかった。
寛永13年(1636)5月24日に死去した。墓所は、仙台市瑞鳳殿である。
当地の中央にある五輪塔は、総高4m以上の花崗岩製で、嫡子の伊達忠宗が建立した。
墓石には伊達政宗の法名「瑞岩寺殿貞山利公大居士」が刻まれている。
周囲には、殉死した20名の家臣の五輪塔が建てられている。
仙台藩で、他の藩に較べて殉死者が多い理由について、大林昭雄氏は、概略次のように記している。(「高野山と仙台藩」)
  君子と家臣は死期を一つにすることで君臣一体の意識の相関関係が成立する。(中略)
  (仙台藩で特別に殉死者が多かったのは)不敗の伊達軍団を生んだ素地(があり)、家臣に対する精神教育の成果の一つの実証(である)

→ 奥州仙台伊達家供養塔 伊達宗重夫妻供養塔 湧谷伊達家供養塔 北室院


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