土生川正道書 本居宣長歌碑は、和歌山県高野山奥の院英霊殿前にある。
石碑には、次のように刻されている。
敷島の大和心を人とはゞ 朝日ににほふ山桜花
土生川 正道 書
この和歌は、江戸時代の国学者 本居宣長(1730-1801)が61歳の時に自画像の簪として書いたものである。
土生川正道(はぶかわしょうどう)は、高野山無量光院住職で平成19年に高野山第五百八世寺務検校執行法印を務めた。→ 高野山の歌碑
上記和歌は、新宮を舞台にした辻原登氏の小説「許されざる者(上)」第六篇でも、次のようにとりあげられている。
夫人が、水量を湛えたダムの中から、さわやかな風のそよぐような声を汲み上げた。
「しきしまの やまとごころを人とはば、朝日にひほふ山櫻ばな」
と口にして、恥ずかしげに付け加えた。
「亡くなった父は、この歌が好きでした。」
「本居宣長ですね。朝日ににほふ、としたところがいい。この場合、にほふというのは、輝き映じる、という意味なんでしょうな。」
了円がいって、別の歌を引いた。
「明日ありと 思ふこころのあだ櫻 夜半に嵐のふかぬものかは」 → 琳光寺 親鸞聖人像前の歌碑
それは? という表情を槇と夫人が了円に向けると、
「親鸞聖人の御作と伝えられております」 → 和歌出典資料