三河岡崎藩主 本多忠利供養塔

三河岡崎藩主 本多忠利供養塔は、和歌山県高野山奥の院中の橋の北東にある。
中の橋汗かき地蔵裏の脇道から斜面を約60m登った先にあり、手前には大和高取藩植村家供養塔がある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、当地墓所には大型五輪塔2基、中型五輪塔1基、櫛型墓標1基が建立されており、忠利塔を中心に家臣の墓や旗本である長坂家の供養塔がある。
本多忠利供養塔の地輪には、次のように刻されている。
三州(異体字)岡崎城主
本多伊勢守殿忠利公
為御追善
     仁廣院殿前
(梵字) 勢州(異体字)太守
     勇宣道智居士
施主孝子石見守
  正保二年酉二月十日

本多忠利(1600-1645)は、本多康紀(後の三河岡崎藩主)の長男として生まれた。
初陣の大坂夏の陣で父とともに参戦して戦功を挙げ、徳川家康から賞されている。
元和9年(1623)父の死去により家督を継ぎ、三河岡崎藩主本多家(定正系)3代となった。
岡崎は、徳川家康が生まれた地で、本多家が岡崎城を築城するとともに藩主を4代務めた。



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