大和高取藩 植村家供養塔

大和高取藩 植村家供養塔 は、和歌山県高野山奥の院中の橋の北東にある。
中の橋汗かき地蔵裏の脇道から斜面を約60m登った先にあり、さらに奥には三河岡崎藩本多家供養塔がある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、当地墓所には大型五輪塔2基、中型五輪塔2基、小型五輪塔14基、宝篋印塔2基、方柱墓標5基、櫛型墓標4基、板碑1基が建立されている。
U字型に並べられた墓石の中央には、大和高取藩初代藩主 植村家政供養塔がある。
五輪塔の地輪(中央三行が一段深く彫られている)には、次のように刻されている。
和州高取之城主植村
出羽守□□□追善施主
     本真院殿
(梵字) 前羽刕太守了學
     日栄大居士
孝子植村右衛門佐家信□
干時慶安三天閏十月廿三日

植村家政(1589-1650)は、徳川家家臣 植村家次の子として生まれた。慶長4年11歳の時、徳川秀忠付の小姓としてつかえ、大坂冬の陣、夏の陣では斥候をつとめた。
寛永2年徳川家光に仕えて大番頭(おおばんがしら)となり、寛永17年本多家が改易となったため、大和高取藩主(2万5千石)植村家初代となった。→ 高取城跡
家政以降、高取藩主は植村家が務め、明治まで植村家14代が高取藩を治めた。
上記報告書によると、当地墓所には、家政のほか2代植村家定から12代植村家興まで(但し、10代植村家教を除く)の供養塔がある。



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