引接寺(千本ゑんま堂)

引接寺(千本ゑんま堂)は、京都市上京区閻魔前町にある。
光明山歓喜院引接寺と号する高野山真言宗の寺院で、本尊として閻魔法王を祀り、一般に「千本ゑんま堂」の名で親しまれている。

開基は小野篁(おののたかむら)卿で、あの世とこの世を往来する神通力を有し、昼は宮中に、夜は閻魔之庁(えんまのちょう)に仕えたと伝えられ、朱雀大路頭(すざくおおじかしら)に閻魔法王を安置したことに始まる。

その後、寛仁元年(1017)叡山恵心僧都の法弟、定覚上人が「諸人化導引接佛道(しょにんけどういんじょうぶつどう)」の意を以って当地に「光明山歓喜院引接寺」を開山した。

本堂には丈六の閻魔王坐像と司命、司録の像、地蔵菩薩立像が安置され、壁面には狩野光信筆と伝える「冥府の図」が描かれており、閻魔王宮を模している。
小野篁は「お精霊(しょうらい)迎え」の法儀を授かり、塔婆供養と迎え鐘によって、この世を現世浄化の根本道場とした。
精霊迎えの法とは、閻魔王から現世浄化のために、塔婆を用いて亡き先祖を再びこの世へ迎える供養法で、のちに盂蘭盆会に発展する法儀である。

境内北側にある名桜「普賢象桜(ふげんぞうさくら)」は咲いた時に双葉を持ち、花冠のまま落ちる珍しい桜である。
往時、この地に桜が千本あったことと、葬送地としての蓮台野の入口にあたり供養の卒塔婆が無数に並び建っていたことに由来して、「千本」という地名が生まれたと言われている。

毎年5月1日から4日間、境内の狂言堂で千本ゑんま堂大念仏狂言が演じられる。定覚上人によって始められたと伝えられ、鎌倉時代に明善によって再興された。
京都では壬生(みぶ)、神泉苑とともに大念仏狂言として知られている。
鰐口、太鼓、笛で囃すのは他の狂言と同様であるが、無言ではなく有言劇として演じられ、京都市無形民俗文化財に指定されている。
京都市バス乾隆校前下車、徒歩2分。




引接寺塔婆 紫式部供養塔

境内東北隅にある、圓阿上人作の引接寺塔婆は、高さが6.1mの十層の多重石塔で「至徳三年(1386)」の刻銘があり、国の重要文化財に指定されている。
九重塔に裳階をつけたとも、二重の宝塔の上に多層塔の残欠八重を積み上げたもいわれる珍しい石塔である。
円形基礎の周囲に14体の地藏小像が彫刻され、一重目には四方に石仏が配され、二重目には四本柱の中に円柱の軸部を置き、三面には鳥居、もう一面には連座上の月輪を刻み、それぞれの中に胎蔵界四仏の梵字を表している。
三重目から上には反り返りの良い八個の笠石を置き鎌倉時代の特徴を備えている。
この石塔は、もとは紫野の白毫院にあったともいわれ、紫式部供養塔と称されている。→ 小野篁卿墓、紫式部墓所 
→ 紫式部ゆかりの地




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