小谷山 実宰院

小谷山実宰院(じつさいいん)は、滋賀県長浜市平塚町にある曹洞宗の寺院である。
当寺は、鎌倉時代初期に天台宗の寺院として開創され、その後、小谷山(しょうこくさん)と号し実西庵(実才庵、実宰庵、実才院)と称した。
昭和29年(1954)に実宰院と改称し、現在は、曹洞宗総持寺系の禅寺となっている。

天文11年(1542)小谷山(おだにやま)二代目城主となった浅井久政の長女 阿久姫は、仏道修行を志し、小谷山の麓の清水谷にある医王寺(徳勝寺)三代に就いて出家し、昌安見久尼(しょうあんけんきゅうに)となった。
昌安見久尼は、父 久政に一宇建立を懇願したため、久政から当時平野庄を治めていた平野左近助に頼状をつかわし、天文11年(1542)3月5日平塚の地に無住となっていたこの庵を再興させた。

寺伝によると、本尊の聖観世音菩薩は、宇多天皇の持仏で、のちその後裔 京極佐々木氏の持仏であったと伝えられている。
京極高次が小谷山京極丸に陣取った時、その鎮守 天満宮とともに浅井久政に委嘱し、久政がよく礼拝していたが、昌安見久尼の出家得度にあたり、実西庵に遷仏して恭服したという。

元亀元年(1570)姉川の合戦で浅井長政が織田徳川連合軍に敗れ、天正元年(1573)には小谷城が落城し、浅井久政と長政は、小谷山で自刃した。
落城の前に、浅井長政は、妻のお市の方と茶々、お初、お江の三人の姫を城から脱出させ、姉の昌安見久尼に託したという。
また、お市の方が柴田勝家と共に自害してからも三人の姫をこの庵で匿ったと言われている。
三人の姫を養育した由縁で、実西庵護持のため、豊臣秀吉から庵料として五十石の朱印地を与えられた。

寺宝として、昌庵見久尼木像(淀殿寄進)、実宰院縁起、豊臣秀吉朱印状、豊臣家四奉行連署状等を有している。
昭和45年には境内に「浅井三代開基昌庵見久禅尼顕彰碑」が建立され、浅井町史蹟保存会が設立された。
JR北陸本線虎姫駅からタクシーで10分。



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