苅萱道心、石童丸、石堂丸ゆかりの地
石堂地蔵(苅萱地蔵)は、福岡市博多区千代3丁目にある。
御笠川の下流、石堂川にかかる石堂橋と石堂大橋の中間地点、大学通り入口に堂が建てられている。
堂の横には、「石堂地蔵遺跡」と書かれた石碑があり、堂内には両手で宝珠を持つ地蔵が祀られ、「石堂地蔵」とも「子授け地蔵」ともいわれている。
崇徳天皇の時代(1123-1141)、博多の守護職であった加藤左衛門尉繁昌(さえものじょうしげまさ)は、大宰府を守る苅萱の関守も兼ねていた。
40歳を過ぎても世継ぎができなかった繁昌は、香椎宮に参籠し、子授け祈願をしたところ、満願の暁に白髪の老人が枕もとに現れ、
「箱崎の松原の西の橋ぎわ、石堂口の川のほとりに、玉のように丸い石がある。これを妻に与えよ。」 と告げた。
加藤繁昌が石堂口に行ってみると、輝く温石があり、妻に与えたところ、間もなく妻は身ごもった。
翌長承元年(1132)正月24日に男児が誕生し、霊石を授かった地に因んで、石堂丸と名付けられた。
成長した石堂丸は加藤左衛門尉繁氏と名乗り、父の跡を継いで苅萱の関守を勤め、後に出家して高野山にこもり「苅萱道心」と呼ばれた。
高野聖が全国に広めた「苅萱道心石堂丸」の悲話の起点として知られている。
この悲話をもとに、享保20年(1735)には大坂で時代物浄瑠璃「苅萱桑門筑紫のいえづと」が上演された。
福岡市営地下鉄千代県庁口下車、徒歩10分。
苅萱の関跡は、福岡県太宰府市坂本1丁目にある。
大宰府にかつて「苅萱の関」と呼ばれた関所があり、関守 加藤左衛門尉繁昌についての石堂丸物語が、浄瑠璃や歌舞伎のなどの作品となって広く知られている。
西鉄都府楼駅近くには、「関屋」という地名が残っており、関屋交差点近くの日田街道沿いに石碑が建てられ、次の文が刻まれている。
苅萱関跡
古来、歌枕として知られ、伝説の「苅萱道心と石堂丸」ゆかりの地としても有名です。
ただ古くからあったといわれる関所としての様子は、現在のところよくわかっていません。
確かな史料としては、室町時代、苅萱関で通行料を徴収していたことを示す文書があり、また、この関を通った連歌師宗祇は、
「かるかやの関にかかる程に関守立ち出でてわが行く末をあやしげに見るもおそろし」 と書き残しています。
西鉄都府楼駅下車、徒歩10分。
学文路苅萱堂(西光寺)は、和歌山県橋本市にあるお堂である。
苅萱道心、石童丸物語の舞台として知られている。
石童丸物語は、中世以来高野聖の一派である萱堂聖によって語られてきた苅萱親子の悲哀に満ちた物語で、
江戸時代には、説経節「かるかや」、浄瑠璃「苅萱桑門筑紫𨏍(かるかやどうしんつくしのいえづと)」(1735年大阪豊竹座初演)や琵琶歌となって、広く世に知られた。
出家した父道心を探して、高野山を目指した石童丸と母千里ノ前は、女人禁制のため母を玉屋旅館に残し、石童丸が一人で高野山に登った。
道心は出家の身で、「あなたの父は、すでに亡くなられた。」と偽って、石童丸を学文路へ帰したが、母はすでに亡くなっていた。
石童丸は再び高野へ上り、苅萱道心の弟子となったが、二人は親子の名乗りをすることなく仏道修行した物語である。
堂内には、苅萱道心、石童丸、千里ノ前、玉屋主人の像が安置され、千里ノ前の遺品とされる人魚のミイラや如意宝珠、石童丸の守り刀などが残されている。
これらは、「苅萱道心・石童丸関係信仰資料」として、橋本市の指定民俗文化財となっている。
平成5年(1993)には、千里ノ前の塚(名号「健泰妙尊大姉(けんたいみょうそんだいし)」)が供養のため旧玉屋屋敷跡から苅萱堂本堂南側に移された。
毎年3月には千里ノ前の法要が行われる。
学文路苅萱堂保存会では、明治40年刊行の「苅萱親子一代記」をもとに、平成8年(1996)に「石童苅萱物語」を発行して、石童丸物語の伝承に努めている。
南海高野線、学文路駅下車、徒歩10分。 → 苅萱堂、苅萱堂跡 石堂地蔵(苅萱地蔵)
旧玉屋屋敷跡は、和歌山県橋本市学文路にある。
玉屋は石童丸物語の千里の前、石童丸母子が止まった宿として知られている。
紀伊国名所図会の(学文路)苅萱堂の項に次のように記されている。
(略)昔の妻 千里の前、(加藤左衛門尉)繁氏の母より傳へ持ちたる石を懐中して、(略)出産ありし男子に石堂丸(石童丸)と名(なづ)け、十四歳のとし、母諸共に(略)此里にきたり。
昔筑紫にて玉田與藤次(たまだよとうじ)といへる浪人の、今は此里にて、玉屋與次(たまやよじ)といへる者の宿にて、病の床に伏し、終に永萬元年酉三月二十四日の朝の露と消失せられしを、健泰妙尊大姉と戒名を授けて葬るとなむ。
南海高野線学文路駅から徒歩約10分。
苅萱堂跡(椎出道)は、和歌山県九度山町にある。
江戸時代に書かれた紀伊国名所図会巻之四には、学文路村にある苅萱堂の絵が大きく描かれている。
大正14年(1925年)に、南海鉄道が九度山駅から高野下駅まで延長され、高野山参詣の人々が高野下駅のある椎出から徒歩で登ることとなった。
そのため、人通りの減少した学文路の苅萱堂を椎出道に移したものである。
しかし、昭和3年(1928年)に高野山電気鉄道が高野下・紀伊神谷間の営業を開始し、翌年極楽橋駅まで延長されたため、椎出から登る人はなくなり、荒廃した建物と苅萱堂と記された石柱が残されている。
建物内は、弘法大師の絵も残されており、往時の様子が偲ばれる。
南海高野線高野下駅下車、徒歩1時間45分。
密厳院は和歌山県高野山往生院谷(蓮花谷)にある真言宗の準別格本山である。
本尊は金剛界の大日如来を祀っている。
密厳院は興教大師覚鑁上人の私坊で、大治5年(1130)の建立と言われている。
覚鑁上人は、密厳上人とも称したので、その寺名が起こった。
天承元年(1131)、覚鑁上人は鳥羽上皇の臨幸を仰いで、高野山に大伝法院を建立した。
長承元年(1132)には、鳥羽上皇臨幸のもとで、密厳院のお堂の落慶供養が行われた。
落慶と同時に紀伊国相賀荘が寺領として、鳥羽上皇から認められた。
しかし、その後高野山衆徒と覚鑁上人との確執で、保延6年(1140)密厳院は焼き討ちにあい焼失した。
上人は根来の豊福寺に退き、根来寺を建立して、後の新義真言宗の基礎を作った。
密厳院は、近世には苅萱堂を中心とした安養寺成仏院の子院となっていた。
現在の建物は、昭和6年(1931)に改築されたものである。
堂内には、興教大師覚鑁像と弘法大師空海像が祀られている。
山門脇の苅萱堂には、石堂丸にまつわる伝説が額で飾られており、山門前には石堂丸の母千里姫の墓が建てられている。
南海電鉄高野線高野山駅からバスで、苅萱堂前下車。
苅萱堂は、和歌山県高野町にあるお堂である。
本尊は親子地蔵尊で、堂の裏手の密厳院が管理している
苅萱堂が有名なのは、中世半ば、高野聖の一派で心地覚心(法燈大師)を祖とする萱堂聖の本拠地となったためで、彼らは唱導文芸をもって全国を遊芸した。
高野聖によって全国津々浦々で語られたのが、「石童丸物語」である。
筑前博多の守護加藤兵衛尉繁昌(苅萱道心)と、石童丸が父子を名乗らないまま対面し、仏道修行した物語を絵にした額が堂内にかけられている。
南海高野線高野山駅から南海りんかいバスで「刈萱堂前」下車すぐ。
苅萱山 寂照院 西光寺は、長野市北石堂町にある浄土宗の寺院である。
善光寺の門前町・長野市の中心街にあり、開祖 苅萱上人とその子 信照坊道念上人(幼名石童丸)の二人が刻んだ二体の「苅萱親子地蔵尊」を本尊としている。
また、絵解きを現在に蘇らせた「絵解きの寺」としても知られ、江戸時代の「苅萱道心石童丸御親子御絵伝」二幅が寺宝として伝わっている。
苅萱道心とは、筑前の国守で苅萱の荘に暮らしていた加藤左衛門重氏が出家して名乗った法師名である。法然のもとで得度し、寂照坊等阿と号した。
高野山で修業し、そこで石童丸に出会い、我が子であると知るが、仏に捧げた身のため名乗ることが出来ないなか、石童丸は、寂照坊の弟子となり、信生坊道念と号して、修行することとなった。
苅萱道心は後に善光寺如来に導かれて、信濃に至りこの地で草庵を開いて、地蔵像を刻んだのち大往生を遂げたという。
石童丸は、父苅萱の往生を知り、信濃に移り住んで地蔵菩薩像を刻むとともに、苅萱塚を築いている。
境内には、苅萱道心・石童丸親子の銅像が建立されている。
JR長野駅から徒歩7分。
安楽山 苅萱堂 往生寺は、長野市西長野往生地にある浄土宗の寺院である。
境内にある案内板には、次のように記されている。
往生寺
鎌倉時代の仁平(1152-1154)の頃、九州博多の大名であった加藤佐衛門尉重氏が、世の無常を感じ、家を捨てて、高野山に登り、寂照坊と名を変えて修行していました。世に言う刈萱上人です。
そこへ、その子石堂丸が尋ねてきて、弟子入りを迫りました。刈萱上人はやむなく許したものの、親子の情愛に流され、修行がおろそかになることを怖れ、ここ信濃の善光寺に移り住み、八三才で生涯を閉じました。
往生寺は、刈萱上人の最期の修行地としての遺跡です。
長野市
明治6年建立の本堂内には、刈萱上人(等阿法師)と石堂丸が刻んだ二体の親子地蔵尊が祀られている。
親子地蔵尊前では、かるかや上人一代記絵伝の「絵解き」が行われており、貴重な教化風俗となっている。
本堂北側の階段上には、刈萱上人御廟所(刈萱塚)と善光寺御来迎松がある。
本堂南側には、夕焼の鐘がある。童謡「夕焼小焼」の作曲者 草川信は、毎夕鳴り響くこの鐘の音を耳にした幼少の思い出をもとに、大正12年に作曲した。
作詞者 中村雨紅の直筆による歌碑が鐘楼前に建立されている。
JR長野駅からバスで善光寺入口下車、徒歩約25分。参拝者用の駐車場がある。
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