紀州藩 新宮領主 水野家供養塔

紀州藩 新宮領主 水野家供養塔は、和歌山県高野山奥の院23町石東にある。
阿波徳島蜂須賀家供養塔伊達政宗供養塔の中間に位置する。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、大型五輪塔1基、五輪塔3基、石仏6基、屋根付墓標1基が建立されている。
大型五輪塔は、紀州藩付家老を務めた、水野重央(しげなか)供養塔である。
上記報告書によると、大型五輪塔の南にある小型五輪塔と石仏は、6代忠興、7代忠奇、7代忠奇長男、8代忠啓、9代忠央(ただなか)などの供養塔である。
水野家は、紀州藩付家老として3万5千石と紀伊新宮城を与えられ、明治元年(1868)に正式に大名として認められた。
新宮市橋本には、水野家の墓所がある。



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