子嶋山子嶋寺は、奈良県高市郡高取町観音寺にある真言宗御室派の寺院である。
本尊は大日如来を祀っている。
当初は、子嶋山(こじまやま)寺、平安時代中期以降は観覚寺、江戸時代には子嶋山千寿(せんじゅ)院と称した。
創建については諸説あるが、寺伝によると孝謙・桓武天皇の病を癒した報恩大徳により、天平勝宝4年(752)に開かれたという。
延暦14年(795)報恩大徳を継いだ2世延鎮(えんちん)は、山城国(京都)東山の霊場で修行中に坂上田村麻呂と出会い、後に二人で東山に清水寺を建立したことが「扶桑略記」に記されており、当時は清水寺が当寺の支坊であった。
永観年間(983-985)に当寺中興の祖とされる真興(しんごう)(935-1004)が来山し、境内に観覚寺という子院を営んだ。
真興は藤原道長が帰依した人物で、もと法相宗の興福寺の僧であったが、のちに吉野の仁賀(にんが)から密教を学んで伝法灌頂を受けており、真興以来、子嶋寺は真言宗子島流の拠点として栄えた。
南北朝時代に兵火を受け堂宇が失われてから、子院の観覚寺を子島山観覚寺と号した。
室町末期には、戦乱で衰退したが、天正年間(1573-92)に高取城主 本多利久が再興した。
江戸時代には、興福寺一乗院の支配下に入り、寛永年間(1624-44)に本堂以下諸堂が再建され、高取城主植村家の祈願所となり、寺号を子嶋山千寿院と改めた。
明治維新後、廃仏毀釈で衰退したが、有志の尽力で庫裏が再建され、明治36年(1903)に旧名の子嶋寺に戻った。
境内には、嘉永年間(1846-54)再建の本堂、高取城二の門が移築された山門などがある。。
寺宝として、子島曼荼羅の名で有名な「紺彩地金銀泥絵(こんあやじきんぎんでいえ)両界曼荼羅図」2幅(国宝、奈良国立博物館寄託)を有する。
両界曼荼羅は、中興の祖 真興が一条天皇の病を平癒させた功績により下賜されたといわれるもので、東寺、神護寺と共に日本三大曼陀羅の一つとして知られており、当寺には4分の一の大きさの複製銅板(レプリカ)がある。
また、平安時代前期の木造十一面観音立像(国重要文化財、東京国立博物館寄託)も寺宝として知られる。
謡曲「田村」の発祥の地として知られている。
田村は、清水寺の縁起に関する謡曲で、後場で清水寺門前の男が、つぎのように語る。
そもそも当寺清水寺と申すは、大同2年の御草創、坂の上の田村丸の御願也、
昔大和国小島寺という所に、賢心といへる沙門、生身の観世音を拝まんと誓いしに、(後略)
近鉄吉野線壺阪山駅下車、徒歩10分。境内東側約50mに参拝者用駐車場がある。
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期