高野山大師教会は、和歌山県高野町にある。
大師教会大講堂は、大正14年(1925年)高野山開創1100年記念事業で建設されたもので、本尊は弘法大師、脇仏は愛染明王、不動明王が祀られている。
各種法会、儀式をはじめ、全国詠歌大会などが行われる。
仏教的な教えを授かる授戒の儀式は、大講堂の奥にある授戒堂で行われ、阿闍梨が参加者に「菩薩十善戒」を説く。
教化研修道場は、昭和57年(1982年)に竣工したもので、弘法大師信仰の教化と研修の中心施設となっている。
南海高野線高野山駅から南海りんかんバスで「金剛峯寺前」下車、徒歩3分。東北側と南側に、「金剛峯寺前」と「金剛峯寺第2」の無料駐車場がある。→ 趙樸初作漢俳碑 志太野坡句碑
宗祖降誕会は、弘法大師の誕生日を祝う金剛峯寺の恒例法会で、6月15日午前9時から大師教会大講堂で行われる。
青葉まつりは、高野町民により組織された高野山奉賛会が主催するもので、各種行事が開催される。
令和2年(2020)以降、青葉まつりの花御堂渡御は、6月第2日曜日に開催されることとなった。
前夜祭では、奉燈行列が行われる。
青葉まつり当日の正午から花御堂渡御が奥の院一の橋を出発し、小学校鼓笛隊や御詠歌隊などが「大師音頭」「いろは音頭」「稚児大師音頭」を踊る人々とともに、金剛峯寺までの約1.5㎞を練り歩く。
花御堂には、弘法大師の幼少時の姿といわれる稚児大師像が奉安され、その前後を「門民苦使(勅使)」「四天王」が守護している。
これは、奈良時代に国民の生活苦を聞いて回る問民苦使が、讃岐に派遣された際に、
他の子供たちと戯れている幼少の大師を敬って四天王が天蓋を奉持している様子を見て、馬から降りて礼拝したという弘法大師行状絵詞巻一の故事「四天侍衛」をもとにしている。
高野山内では、いけばな展、書道展などの奉賛展や奉賛スポーツ行事も行われる。
大般若転読会(だいはんにゃてんどくえ)は、毎年12月10日午前9時から高野山大師教会大講堂で行われる。
大般若経は、「大般若波羅蜜多(はらみった)経」の略称で、全600巻(20万頌640万字)あり、中国唐の玄奘三蔵が訳した。
玄奘三蔵は、順慶5年(660年)の正月1日から大般若経の翻訳に取り組み、竜朔3年(663年)10月末に3年近くをかけて翻訳を完成させた。
ひろさちや著「仏教の歴史」(6)には、翻訳の苦労を物語る次のエピソードが紹介されている。
インドの原典には、繰り返しの表現が多いため、中国人の好みに合うように内容中心の簡潔な翻訳にしようと考えた。
ところが、そのように訳し始めると玄奘は恐ろしい夢を見たという。
それで、玄奘は原文を一字一句も省略せずに翻訳する形に変えた。
すると吉夢を見るようになり、仏や菩薩が眉間から光を放つ夢を見ながら、翻訳を完成させたという。
大般若経は、初期の大乗仏教経典の一つで、この経には、「大品般若経」「小品般若経」「文殊般若経」「金剛般若経」などが含まれる。
何ものにもとらわれない「空観」(くうがん)の立場に立ち、その境地に至るための菩薩の六波羅蜜の実践、とくに「般若六波羅蜜」の体得が強調される。
大般若経には、般若経の読誦(どくじゅ)、書写、思索などによる諸功徳が説かれていることから、除災招福、鎮護国家などに有益とされた。
大宝3年(703)文武天皇のとき、大般若経の転読(経題や経の初中終の数行の略読を繰り返すこと)が行われたことが、「続日本紀」に記されている。
それ以降、宗派の別なくこの転読が行われている。。
高野山大師教会では、山内住職と金剛峯寺の僧侶が出仕し、経本を左手に持ち上げて、大きく広げる様は大変迫力がある。