志太野坡句碑

志太野坡句碑は、和歌山県高野山大師教会にある。
大師教会境内の趙樸初作漢俳碑北側に建立された石碑には、次の句が刻されている。
   鶯や木末(こぬれ)は鴉(からす) 置きながら
志太野坡(しだやば)(1662-1740)は、江戸時代前期、中期の俳人である。
姓は志田、志多とも書き、別性は竹田。
越前(福井県)に生まれ、江戸の越後屋両替商につとめる。宝井其角、松尾芭蕉に学び、元禄7年(1694)小泉孤屋らと「炭俵」を編集した。
芭蕉の遺書を代筆した俳人で、蕉門十哲の一人に数えられる。
宝永元年(1704)大坂に移り、中国、九州地方に行脚して、西国に多くの門弟を擁した。
南海高野線高野山駅から南海りんかんバスで「金剛峯寺前」下車、徒歩3分。東北側と南側に、「金剛峯寺前」と「金剛峯寺第2」の無料駐車場がある。
→ 高野山内の歌碑、句碑、、詩碑




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