丹生川上神社上社は、奈良県吉野郡川上村迫にある。
丹生川上神社は、奈良県吉野郡に鎮座し、現在、上(かみ)、中(なか)、下(しも)の三社に分かれている。
龍神総本宮といわれる当社の主祭神は高龗大神(たかおかみのおおかみ)(龍神、雨師の神)で、相殿には、大山祇(おおやまつみ)神、大雷(おおいかずち)神を祀っている。
高龗大神は神代において伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火の神「迦具土神」(かぐつちのかみ)を切ったとき、生まれた神で、天空山の峰の龍神のこととされる。
日本書紀神武天皇即位前紀戊午甲子の条に
「厳瓮(いつへ)を造作(つく)りて丹生の川上に陟(のぼ)りて用て天神地祇を祭りたまう」
と記されており、上古から祭祀を行う聖域であったことが知られる。
そして白鳳4年に
「人の声聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬き祀らば、
天下(あめした)のため甘雨(うましあめ)を降らし霖雨(ながきあめ)を止めむ」
との神宣により、社殿が建立された。
それ以降、祈雨、止雨の神として天平宝字7年(763)の奉幣祈雨、宝亀6年(775)の奉幣祈晴など数十回の奉幣祈願がなされた。
延長5年(927)の法令集「延喜式」によると、朝廷から奉幣を受け、旱魃の際の祈雨には黒毛の馬を、長雨の際の止雨には白馬を奉るのを例とした。
そして、この生きた馬の代わりに絵馬を奉納する風習が普及したといわれる。
延喜式神名帳では、名神大社二十二社の一社に列せられ、その後、雨飾社(あまししゃ)、雨飾明神、丹生大明神とも称された。
「この里は 丹生の川上
ほど近し 祈らば晴れよ
五月雨の空」
これは、後醍醐天皇が吉野の行宮で、当社に寄せて詠んだ御製である。
しかし、応仁の乱以降、朝廷からの奉幣が中止され、戦国騒乱の中で衰微し、所在すら不明となった。
江戸時代に考証の結果、現在の下社が丹生川上神社とされ、明治4年(1871)に官幣大社となった。
その後、上社を丹生川上神社にあてる説、さらに東吉野村の蟻通神社(中社)をあてる説も出され、三社を一社として官幣大社に列した。
上社は、旧境内地が大滝ダムの建設に伴い水没することとなったため、平成10年に現在の本殿が造営された。
平成28年には日本遺産となっている。
近鉄吉野線大和上市駅からバスで湯盛温泉杉の湯下車徒歩15分。参拝者用の無料駐車場がある。