高野山奥の院33町石
高野山奥の院33町石は、和歌山県高野山奥の院の豊臣家墓所の北にある。
豊臣家墓所と摂津尼崎 青山家供養塔の間に位置しており、33町石の後方には、下野宇都宮藩主 本多正純供養塔がある。
町石地輪には、次のように刻されている。(松山健氏「高野山町石道」参照)
(東面)(梵字)(金剛鉤菩薩)卅三町 興山上人
(北面) 為自他法界平等利益
(南面) 天正十八年辛未七月廿一日
(西面) (梵字)(金剛挙菩薩)
この町石は鎌倉時代以降、約三百年経って再建された唯一のもので、寄進者は興山上人(応其上人)である。
応其は、天正13年(1585)豊臣秀吉が高野山攻略を企図した時、宥全、快言を伴って粉河の陣で秀吉と面会して一山の無事を懇願し、さらに良雲空雄師とともに和議を結ぶ働きをした。
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