白河天皇成菩提院陵は、京都市伏見区にある。
白河天皇(1053-1129)は、平安時代後期の天皇(在位1072-1086)である。
後三条天皇の第一皇子として生まれた。母は藤原能信(よしのぶ)の娘 茂子(藤原公成(きんなり)の養子となる)である。
父から譲位されて天皇に即位した後、堀川天皇に位を譲り、院政を行った。
堀川天皇の死後、5歳の鳥羽天皇を即位させ、さらに崇徳天皇に譲位させた。
三代の天皇の在位期間を通じて、白河法皇は「治天(ちてん)の君」の地位にあり、半世紀を超えて権力を握っていた。
特にその後半は専制政治を行ったことにより「天下三不如意(てんかさんふにょい)」(賀茂川の水、双六の賽、山法師)の話が生まれた。
鳥羽離宮は、白河上皇が院政開始の象徴として応徳3年(1086)から造営が始まり、北殿、南殿、泉殿、馬場殿、東殿、田中殿などが造られた。
現在の名神高速道路京都南インターの南から東に拡がる東西1.5㎞、南北1kmの範囲で、当時の日記に「都遷りがごとし」と記されたほどの規模を誇った。
鳥羽離宮の東殿は、三重塔3基、多宝塔1基が築かれ、白河法皇(成菩提院陵)、鳥羽法皇(安楽寿院陵)、近衛天皇(安楽寿院南陵)の御骨が収められ、墓前に御堂が築かれた。
東殿の区域は、ほかの殿とは様相が異なり、墓所的な色合いが強く、極楽浄土を現世に築き上げたといわれている。
白河天皇は、大治4年(1129)7月7日に77歳で崩御し、火葬の後に遺骨は洛北香隆寺(こうりゅうじ)に安置されたが、遺言により塔の一つに改葬された。
昭和35年からの杉山信二氏の発掘調査で鳥羽離宮の当時の姿が明らかになり、安楽寿院境内には鳥羽離宮復元鳥瞰図が置かれている。
京都市営地下鉄竹田駅下車徒歩10分。
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期