薬仙寺は、神戸市兵庫区今出在家町にある時宗の寺院である。
寺伝によると、天平18年(746)行基によって創建された。
創建当初は法相宗、後に天台宗となり、延文元年(1356)時衆国阿が当寺で念仏修行した時、住僧 真如は国阿の勧化に服してその門弟となり、名も直阿と改めて時宗に改宗し、中興開基となった。
本尊木造薬師如来坐像(平安時代、国重文)は、檜の一木造りで、膝裏の墨書銘(「奉造立阿弥陀如来像」)から、阿弥陀如来と伝えられた時期もあった。(摂津名所図会)
日本で最初に施餓鬼會修法が行われた寺と伝えられ、朝鮮李朝時代の「絹本着色施餓鬼図」(国重文)を所蔵している。
境内には、「後醍醐天皇御薬水 薬師出現古跡湧水」の石碑がある。
元弘3年(1333)後醍醐天皇が配流地隠岐を脱出して福厳寺(ふくごんじ)に来た時、ひどい頭痛に悩まされ、当寺の霊水を献上して快癒したことから、天皇から医王山の山号を下されたという。
境内西側に、詠歌踊り念佛連名石碑(2基)がある。
時宗開祖 一遍上人は踊り念仏とお札配りをして全国を遊行し、正応2年(1289)に兵庫の地で没した。→ 真光寺 一遍上人御廟
このため、兵庫津では踊り念仏が続けられ、江戸時代から福原西国霊場参拝も盛んとなり、御詠歌と踊り念仏を併せた庶民的な芸能が生まれた。
2基の連名石碑には兵庫津の有力町人や夫人の名前が記されており、民間芸能研究の貴重な資料とされている。
神戸市営地下鉄海岸線 和田岬駅下車、徒歩10分。
萱の御所跡碑
「牢(楼)の御所」ともいい、平清盛が後白河法皇を幽閉した建物で、三間四方の粗末な造りであったという。(平家物語)
伊豆国に流された際に源頼朝と出会った文覚上人は、後にこの御所に忍び入り平家追討の院宣を賜ったと伝えられている。
当地より北東方向約100mの地点にあったが、昭和29年の新川運河拡張工事によって水中に没するため、当寺境内に移設された。→ 平清盛ゆかりの地
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