大和柳本 織田家供養塔は、和歌山県高野山奥の院23町石北東にある。
鳥取池田家供養塔(池田恒興)と井伊掃部頭霊屋の間に位置している。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、当地の龍泉院墓所には中型五輪塔16基、小型五輪塔1基がある。
内訳は、南側(参道側)に1基、西側(一の橋側)に5基、北側に8基(別に小型五輪塔1基)、東側(中の橋側)に2基である。
主な石塔は次のとおりである。
写真番号 | 供養者名 | 没年 | 法名 | 備考 |
① | 10代藩主 織田 秀綿(ひでつら) |
文化3年 (1806) |
法光院殿 通山宗貫大居士 |
|
② | 8代藩主 織田 秀賢(ひでかた) |
天明4年 (1784) |
圓證院殿 覺應義正大居士 |
宝暦13年(1763) 隠居のため建立 |
③ | 9代藩主 織田 長恒(ながつね) |
明和3年 (1766) |
享徳院殿 謙光宗流大居士 |
|
④ | 3代藩主 織田 秀一(ひでかず) |
貞享4年 (1687) |
圓常院殿 梅嶺指月大居士 |
|
⑤ | 4代藩主 織田 秀親(ひでちか) |
寶永6年 (1709) |
祥光院殿 椿岑宗久大居士 |
|
⑥ | 6代藩主 織田 秀行(ひでゆき) |
享保11年 (1726) |
巖光院殿 本照宗然大居士 |
|
⑦ | 7代藩主 織田 信方(のぶかた) |
寛保元年 (1741) |
峯徳院殿 普光宗知大居士 |
上記大名墓総合調査報告書によると、当地墓所には、2代長種(寛永20年)、5代成純(享保14年)の供養塔も建立されている。(位置不詳)
柳本藩は、大和国式上(しきじょう)郡柳本村(天理市柳本町)にあった外様藩である。
元和元年(1615)織田信長の実弟 織田長益(有楽斎(うらくさい))が所領を三分し、五男(初代)尚長(なおなが)に一万石を与えて、柳本藩が成立した。
その後、織田信及(のぶもと)が明治2年(1869)版籍奉還を行うまで、13代、255年間織田家が藩主を勤めた。
旧藩庁の表向(おもてむき)御殿は、橿原神宮に移建され、文華殿と呼ばれている。
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期