越中井

越中井 細川忠興夫人秀林院殉節之遺址 は、大阪市中央区にある史跡である。
大阪城の南の旧越中町は、細川越中守忠興(ほそかわえっちゅうのかみただおき)の邸があったところで、越中井とは邸内にあった井戸のことである。
慶長5年(1600年)、関ケ原合戦の始まる直前、石田三成は、徳川家康方についた在阪諸大名の夫人を人質として、大坂城内に監禁しようとした。
真っ先に関東に遠征中の細川忠興の夫人を要求したが、ガラシャ夫人はこの命令に従わず、家臣 小笠原少斎秀清に長刀で胸を突かせて死んだ。
キリスト教徒であったため自害が出来なかった。その時、邸に火を放ち、唯一残ったのが「越中井」である。
細川ガラシャは、明智光秀の娘で本名は玉、天正15年(1587年)に侍女 清原いとの助けで洗礼を受けた。
本名の玉に因んで、ラテン語のGRATIA(恩寵)から洗礼名をガラシャ(伽羅奢)と称した。
宣教師のルイスフロイスは、細川ガラシャのことを「繊細な才能と、天稟の博識において超人的であり、どの日本人女性よりも優れていた」と記している。
井戸の横の記念碑は、昭和に入って、大阪市婦人連合会によって建立された。碑には、侍女 霜と「おく」の2名によって伝えられたガラシャ夫人の辞世が刻まれている。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
(花は散る時を知っているからこそ、美しく咲き続けるのでしょう。それは人も同じです。私にとって、今がその時なのです。)

花は、ガラシャ夫人の好きだった桜を指しているといわれている。
田端泰子氏の「細川ガラシャ」によると、ガラシャ夫人の死の翌年、慶長6年8月に、細川忠興はオルガンティノ神父に依頼して、大坂の教会で葬儀を行ったという。→ 崇禅寺
大阪市営地下鉄中央線森ノ宮駅下車、徒歩10分。→  勝龍寺城 高桐院




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