藤島神社は、福井市毛矢にある。
南北朝時代の武将 新田義貞を主神とし、新田義宗、脇屋義助、新田義顕、新田義興、殉難将士を合祀している。
新田義貞は、清和源氏の末流で八幡太郎義家から十代目にあたり、代々群馬県の新田郡に居を構えていたので新田の姓を称した。
元弘3年(正慶2年)(1333)新田義貞が、後醍醐天皇の命で、郷里の生品明神で討幕の旗を旗をあげて鎌倉に攻め入り、執権北条高時を滅ぼし、建武の新政が始まった。
その後、足利尊氏が後醍醐天皇と対峙する中で楠木正成が湊川で戦死し、延元元年(1336)に新田義貞は、後醍醐天皇の皇子 恒良、尊良両親王を奉じて敦賀の金ヶ崎城に籠城したが、翌年3月に落城した。
義貞は、脇屋義助とともに杣山に逃れて再起を図り、畑時能や平泉寺衆徒の助けを受け、延元3年(1338)斯波高経の軍を武生で破ったが、福井平野で足利軍と奮戦中に燈明寺畷にて、壮烈な戦士を遂げた。
福井県坂井市の称念寺境内に史跡新田義貞公墓所がある。
明暦年間に燈明寺畷において義貞の兜が発見され、万治3年(1663)福井藩主 松平光通が、「義貞戦死此所」と刻んだ石碑を建てた。
明治3年(1870)福井藩知事 松平茂昭(もちあき)は、新田塚と呼ばれていた義貞戦死の地に社殿を建て、明治9年(1876)に社名が藤島神社とされ、別格官幣社となった。
近くに移転の後、明治34年(1901)に現在地に移された。
社宝として、義貞所用と伝える発掘された鉄製銀象眼(ぞうがん)兜、鎌倉期の太刀二口、紙本結城宗広書状(いずれも国の重要文化財)などを有している。
本殿東側には、新田義貞の妻 勾当内侍をまつる摂社野神神社がある。
JR北陸本線福井駅からバスで不動山口下車、徒歩10分。参拝者用の駐車場がある。
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