穂積以貫先生 近松半二翁 追慕之碑

穂積以貫先生 近松半二翁 追慕之碑は、兵庫県姫路市見星寺にある。

穂積以貫(1692-1769)(ほづみこれつら/ほづみいかん)は、江戸時代中期の儒者で、近松半二の父としても知られる。
元禄5年に播磨で生まれ、伊藤東涯(とうがい)に古義学を学び、和算、韻学にも精通し、大坂で塾を開いた。
竹本座に関係し、近松門左衛門とも親交を結び、「難波土産(なにわみやげ)」所載の近松の芸術論は、穂積以貫の聞き書きと言われている。
明和6年8月21日、78歳で死去した。

近松半二(1725-1783)(ちかまつはんじ)は、江戸時代の浄瑠璃作者で、本名は穂積成章である。
半二は若い頃遊蕩生活を送ったと伝えられるが、父の縁で2世竹田出雲の門に入って、竹本座の作者となり、近松に私淑してその姓を名のった。
宝暦12年(1762)「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」が認められて、翌年立役者となり、「本朝廿四考(ほんちょうにじゅうしこう)」「関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)」「傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)」「近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)」「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」「新版歌祭文(しんぱんうたさいもん)」「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」などの名作を残した。

当地の石碑は、昭和30年に穂積家の菩提寺である見星寺に建立された。



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