仙台藩 松山 茂庭家供養塔

仙台藩 松山 茂庭家供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院31町石南側にあり、参道を約30m東側に入ったところで、三河岡崎本多家供養塔と筑前黒田家供養塔の北側にある。
南向き五輪塔が五基、また西向き五輪塔が五基、L字型に並んでいる。
水原堯榮氏の「高野山金石図説」によると、南向き五輪塔の各地輪について、下表の第2列のように記されている。

(西側から)

元和四歳十月廿一日
(梵字) 密林居士高吽 逆修 
奥刕茂庭石見守 
茂庭綱元
(鬼庭綱元) 
長井郡川井城主
磐井軍赤荻城主 
2  御施主奥刕松山城主茂庭周防守殿
爲慈父佐月公建立之
(梵字)慧光院殿天外獨照大居士
寛文三天八月三日 
松山茂庭家
初代当主
茂庭良元
(良綱)
(左月斎) 
磐井郡赤荻城主
松山城主 
3  御施主奥刕松山城主茂庭主水殿
爲慈父傳翁公建立之
(梵字)見性院殿前防刕
    傳翁直心大居士
寛文六天甲午正月十一日 
松山茂庭家
第二代当主
茂庭定元
(茂庭周防) 
仙台藩評定役として
伊達騒動では、
反伊達宗勝派として
奔走した。 
4  寶永三龍次丙戌年
(梵字)乾坤院殿前防刕
    燈外法燈大居士
七月二十六日卒去
(左面)
奥刕仙臺松山領主
孝子茂庭又次郎嵩元
爲慈父追善建立之 
松山茂庭家
第三代当主
茂庭姓元
(茂庭主水)
仙台藩奉行(家老) 
5  寛保二龍次壬戌歳
    佛國院殿
(梵字)凉外雄薫大居士
     六月廿九日卒去
(左面)
奥刕仙臺松山領主
孝子茂庭筑後元明
球爲慈父建立焉
松山茂庭家
第四代当主
茂庭嵩元
 

高野山金石図説(大正13年、昭和57年刊)には、当地の供養塔について、崩れている五輪の記録がある。その後修復されたものと思われる。
西向き五輪塔は、茂庭定元(周防守)の母などの供養塔がある。→ 伊達政宗供養塔 伊達宗重夫妻供養塔 奥州仙台伊達家供養塔



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