元櫻橋南詰の碑(桜橋跡碑)

元櫻橋南詰の碑(桜橋跡碑)は、大阪市北区曽根崎新地1丁目の四ツ橋筋沿いにある。
江戸時代には、蜆川(曽根崎川)が、現在の堂島川の北に流れていた。→ 曽根崎川跡 蜆橋銅板標 史跡 蜆川跡 しじみはし(蜆橋)

当地の「元櫻橋南詰の碑」の側面には、「明治四十二年七月三十一日 北区大火にて焼失す」と記されている。
「北の大火」と呼ばれるこの火災は、北区を焼き尽くすほどの被害をもたらしたと伝えられている。
その瓦礫で蜆川の上流部が埋め立てられ、大正13年(1924)には、下流部も埋め立てられた。

おおさかあそ歩」の「恋風の身で、北新地蜆川跡を辿れば~この世の名残り、夜も名残り。死にに往く身をたとふれば~」まち歩きマップでは、蜆川跡や桜橋跡碑の位置関係が分かりやすく示されている。
近松門左衛門の名作世話浄瑠璃「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」では、「北新地河庄の段」や「大和屋の段」で蜆川が描かれている。
また、曽根崎新地 紀の国屋の遊女 小春と天満の紙屋治兵衛が心中に向かう「道行名残りの橋づくし」では、天神 菅原道真の伝説になぞらえて語られ、次のように桜橋が登場する。
「天神橋はその昔、菅丞相と申せし時、筑紫へ流され給ひしに、君を慕ひて大宰府へ、たった一飛び梅田橋。あと追ひ松の緑橋。別れを嘆き、悲しみて、後にこがるゝ、桜橋」 → 大長寺

大阪メトロ四つ橋線西梅田駅下車、徒歩3分。



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