お江供養塔

お江供養塔は、京都市左京区の金戒光明寺墓地にある。
徳川秀忠夫人崇源院(1573-1626)の供養塔(宝篋印塔)である。
徳川幕府二代将軍の徳川秀忠の正室で三代将軍家光の生母である。名はお江(ごう)、お江与(おえよ)の方、お督(ごう)などと呼ばれた。諱は達子という。
近江小谷城主浅井長政の三女で、母は織田信長の妹 小谷の方お市である。
天正元年(1573)、織田信長によって包囲された小谷城落城の際、母と二人の姉(お茶茶、初)とともに逃れ、信長に養われた。
お茶茶は後に豊臣秀吉の側室 淀殿となり、初は若狭小浜城主京極高次の室 常高院となった。
天正10年(1582)母お市が越前北庄城主柴田勝家に再嫁する際、姉二人とともに伴われ、翌年、柴田氏が滅び、母お市が自害すると、三姉妹は豊臣秀吉のもとに引き取られた。
お江はその後、尾張大野城主佐治一成と結婚するが、秀吉の意向で離縁させられた。
秀吉の養女となって羽柴(豊臣)秀勝と再婚したが、秀勝は朝鮮に出陣し没した。
文禄4年(1595)徳川秀忠と結婚し、家光、忠長、千姫、子々姫、勝姫、初姫、和子(後水尾天皇中宮 東福門院)の二男五女を産んだ。
寛永3年(1626)9月15日没。享年54。法名は、崇源院殿昌誉和興仁清である。墓所は、東京芝の増上寺にある。
平成23年のNHK大河ドラマ「江(ごう)」のヒロインとして描かれたこともあり、墓地下段に案内板がある。
当地の墓は、三代将軍をめぐって崇源院と争った春日局(家光の乳母)が、同夫人の死後、追善菩提のため建立したもので、崇源院の遺髪が納められている。→ 駿河大納言 徳川(松平)忠長供養塔
高野山奥の院には、次男忠長が建立した五輪塔源(徳川)秀忠公御台所六角宝塔(崇源院殿墓)がある。

福田千鶴氏「江の生涯」では、江の戒名「崇源院」は一般に「すうげんいん」(国史大辞典ほか)と読まれているが、
春日局が著したと推定される「東照大権現祝詞」のなかで「そうげんいんさま」と読まれ、「寛永諸家系図伝」仮名本(寛永20年(1643)編纂)において、「そうげんゐんでん」の読み仮名がつけられていることから、
同時代的には「そうげんいん」と称されていたとするのが正しい、としている。



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