大畑才蔵 小田井用水 ゆかりの地
大畑才蔵生誕地学文路石碑は、和歌山県橋本市学文路にある。
平成16年(2004)3月に橋本市学文路区によって建立された。
大畑才蔵勝善(1642-1720)は、寛永19年に紀伊伊都郡学文路村の庄屋に生まれた。
家伝によれば、先祖は日高郡亀山城(現御坊市)城主 湯河直光の末葉 湯川次郎右衛門信光である。
18歳で大庄屋の補佐役をつとめ、水利事業に才能を発揮し、元禄9年(1696)に紀州藩役人となり、紀州最大の用水路 小田井用水を開削した。
享保5年(1720)9月24日79歳で学文路村有岡で没した。墓所は学文路の山腹にあり、和歌山県指定史跡となっている。
南海高野線学文路駅下車徒歩10分。
大畑才蔵勝善(おおはたさいぞうかつよし)(1642年-1720年)の墓は、和歌山県橋本市学文路にある史跡である。
利水の先覚者大畑才蔵勝善は、寛永19年(1642年)学文路で生まれた。
18歳で杖突(つえつき 庄屋の補佐役)、28歳で高野内聞役(こうやないぶんやく 高野山の情報を藩に伝える役)と、若年で要職に就き、各層から厚い信望を集めた。
元禄9年(1696年)55歳の時「和歌山会所詰御用」を命じられて藩に出仕し、以降大畑才蔵の優れた才能は紀州藩の事業を通して大きく開花した。
大畑才蔵が手がけた大水利事業は、元禄11年(1698年)からの伊勢一志郡の新井(しんゆ)施工完成、紀州では元禄13年藤崎井(ふじさきい)、宝永7年(1710年)小田井竣工の二大灌漑事業がある。
特に小田井は根来(岩出市)に至る大規模なもので、県下随一を誇る農業用水であった。その長さは9里8町(約36㎞)に及び、およそ1000町(約9.9㎢)の田に水を導いた。
これらの水路には、サイフォン方式や「かけひ」方式など天才的な設計技法が随所に用いられている。
その後、才蔵のたずさわった仕事は、名高浜(なだかはま)の塩田、亀池(海南市)、引の池、河瀬(こうぜ)新地(橋本市)など多数に及ぶ。
享保5年(1720年)9月24日に79歳で没し、戒名は「浄岸慈入居士」とつけられた。墓石は、紀ノ川側から3列目の左から4つ目である。
「才蔵日記」等の記録類も残されており、墓地とともに和歌山県指定文化財となっている。
墓地からは、紀ノ川を望むことが出来る。
南海高野線学文路駅下車、徒歩18分。かむろ大師の参拝者駐車場がある。
小田井用水は、和歌山県にある用水路で、小田井堰は、和歌山県橋本市にある。
小田井用水は、宝永年間(1704〜1711)伊都郡学文路村出身の大畑才蔵によって開削された紀州随一の用水路である。
伊都郡小田村(現在の橋本市高野口町)で、紀ノ川に井堰を設け、葛城山脈(和泉山脈)の山裾沿いに那賀郡今中村(現紀の川市)まで水路をうがって水を引いている。
紀伊国の穀倉地帯592haを潤し、全長28kmで、「南紀徳川史」や大畑才蔵が元禄9年(1696年)から約20年にわたって実践的に活動した時の記録である「在々御用日記」によると、工事は三期にわたり、一〇余年の歳月をかけて行われた。
第1期工事は、宝永4年(1707年)に着工、小田から那賀郡市場村(現紀の川市)まで21km余りの水路が開かれた。
工事には、延べ二十万余の人夫を動員した。宝永6年(1709年)には、井堰の延長が望まれ、市場から田中(現紀の川市打田町)までの、5kmに及ぶ工事がなされた。
工事に携わった人夫は延べ2万3千人余りであった。さらにこの後今中村までの工事が行われたが、詳しい記録は残っていない。
紀ノ川右岸の等高線を巡るように開削されたため、途中にいくつもの河川の谷間と交差する難工事となったが、渡井(とい)(水路橋)や伏越(ふせご)(サイホン)による立体交差で克服した。
その後、井堰は荒れたが、明治38年(1905年)に改修工事を起工し、昭和6年(1931年)に完成した。
小田井用水は、平成18年2月に農林水産省主催の「疏水百選」に認定された。
また、明治から大正時代にかけて改修された水路橋(龍之渡井(たつのとい)、小庭谷川渡井(こにわだにがわとい)、木積川渡井(こづみがわとい)とサイホン(中谷川水門)の4施設が、和歌山県内の土木構造物では初めて平成18年3月に登録有形文化財(文化庁)となった。
平成29年(2017年)には、小田井用水が「世界かんがい施設遺産」に登録された。同遺産は「国際かんがい排水委員会」(本部・インド)が2014年に創設した。
歴史的、社会的に価値のあるかんがい施設の顕彰や保全を目的としており、これまでに8か国47施設(日本国内27カ所)が登録されている。
小田井堰へは、JR和歌山線高野口駅下車、徒歩19分。
龍之渡井は、和歌山県紀の川市にある小田井用水の水路橋である。
小田井用水の工事で一番苦心したといわれるところで、穴伏川の谷を跨いで水路橋が架けられている。
この龍之渡井は、18メートル余りの川幅を両岸の岩盤を利用して支え、中間に一本の支柱も使わずに木製の掛樋(かけひ)を通したことで知られている。
現在の施設は、大正8年(1919年)に改修されたレンガ石張り造りアーチ橋で、上部盛土部に三和土(土・石灰・ニガリの混合物)を用い、表面は自然石で覆われている。
小田井用水には、龍之渡井以外にも明治から大正時代にかけて改修された水路橋(小庭谷川渡井、木積川渡井)とサイホン(中谷川水門)がある。
これらの4カ所の施設が、平成18年4月に和歌山県内の土木構造物では初めて、登録有形文化財となっている。
JR和歌山線西笠田駅下車、徒歩10分。
中谷川水門は、和歌山県かつらぎ町にある。
紀ノ川にほぼ並行して流れる小田井用水が中谷川と交差する地点に築かれた暗渠(あんきょ)で、明治45年に建造された。
サイホンの原理を利用して中谷川の下を用水路が通っている。
アーチは煉瓦造り4枚厚で、壁面をフランス積(フランドル積)とし、頂部にパラペット(平屋根)を立ち上げる。
小田井用水は江戸時代に大畑才蔵が開削したもので、平成18年3月23日に、国の登録有形文化財に登録された。
JR和歌山線中飯降駅下車、徒歩5分。
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期