高野山 奥の院 黒田家石塔

和歌山県高野山奥の院にある黒田家石塔を紹介します。

筑前黒田家墓所

筑前黒田家墓所は、和歌山県高野山奥の院18町石北西にある。
加賀前田家供養塔の東側に位置する。
江戸時代に書かれた「南山奥之院諸大名石塔記」によると、当地の墓所は次のように書かれている。
  黒田甲斐守殿 
  五万石 
  居城 筑前秋月
  赤松院



筑前黒田家供養塔(養照院他)

筑前黒田家供養塔(養照院他)は、高野山奥の院31町石南西にある。
大津籠城戦死者供養塔の北西方向で、参道から約15m東側に入ったところにある。
いずれも筑前福岡藩三代目の黒田光之(右衛門佐)が建立したものである。
扁額には、養照院、寶光院と刻されており、五輪塔の地輪には、次のように刻されている。
  延寶五丁巳年七月十六日終焉
  養照院殿 松巖
  永壽大姉靈位
  爲先妣
  松平右衛門佐光之建之

  寛文九年十一月九日建立
  寶光院殿
  大姉靈位
  元壽妙長
  大檀主
  松平右衛門佐
  侍從源朝臣光之公

養照院は、筑前福岡藩二代目藩主 黒田忠之の継室で、三代目の黒田光之を産んだ。
寶光院は、小倉藩初代藩主 小笠原忠真の長女で、市松姫と呼ばれ、正保4年(1647)黒田光之の正室となった。
墓所は、福岡市博多区の崇福寺、東京都渋谷区祥雲寺にある。
当地の供養塔を建立した黒田光之(江龍院)の供養塔は、奥の院32町石北側にある。







筑前黒田家供養塔(瑞嶺院)

筑前黒田家供養塔(瑞嶺院)は、和歌山県高野山奥の院にある。
五輪塔周囲に四十九院玉垣があり、正面扉の左に向合鳩、右に藤の三ツ巴浮彫がある。
五輪塔地輪には、次のように刻されている。
   元文五庚申年
   瑞嶺院殿
  (梵字ア) 大姉
   香雲妙薫
   十二月十一日

瑞嶺院殿は、陸奥国盛岡藩第四代藩主 南部行信の娘 艶姫で、黒田宣政の正室である。
黒田宣政(1685-1744)は、筑前福岡藩の第五代藩主である。



筑前黒田家供養塔(龍雲院他)

筑前黒田家供養塔(龍雲院他)は、和歌山県高野山奥の院31町石南西にある。
大津籠城戦死者供養塔の北西方向で、参道から約30m東側に入ったところにある。
西向きに石塔5基が並んでおり、北側から各石塔には次のように刻されている。
       龍雲院殿前筑刕太守
 (梵字ア)拾遺補闕徳巖道俊
       大禅定門
    (右)天明二年壬寅十月廿四日捐館
    (左)孝子筑前太守長高建之

       眞常院殿
 (梵字ア)     大童子
       玉峯宗琇
    (右)安永六丁酉年
    (左)九月二十五日

         寶歴十二年壬午
       瑛光院殿四品前匠大尹
  (梵字ア)
       瑞嶽紹鳳大居士
         七月十四日

  (梵字ア)龍湫院殿瑞林道祥大居士
    (右)享保五庚子歳二月二十三日捐館
    (左)俗名 黒田伊勢守長清

       眞如院殿
  (梵字ア)    大姉
       月峰妙輝
    (右)明和八年辛卯歳
    (左)八月十日

龍雲院は、筑前福岡藩八代藩主 黒田治高(1754-1782)である。
眞常院は、筑前福岡藩七代藩主 黒田治之の子 黒田隼三郎(1772-1777)である。
瑛光院は、筑前福岡藩六代藩主 黒田継高の長男 黒田重政(1737-1762)である。次期藩主として期待されたが、26歳で父に先立ち死去した。
龍湫院は、筑前国直方藩主 黒田長清(1667-1720)である。
眞如院は、黒田重政の娘 屋世姫(1761-1771)である。



筑前黒田家供養塔(定香院他)

筑前黒田家供養塔(定香院他)は、高野山奥の院31町石南西にある。
大津籠城戦死者供養塔の北西方向で、黒田家の、養照院他、瑞嶺院、龍雲院他の墓所西側にある。
七基の石塔が南向きに並んでおり、東側から順に、次の墓石が確認できる。

定香院 筑前直方藩主 黒田長清の妻
勝眞院 筑前秋月藩主黒田長重室 富貴姫(または吉姫)
玉臺院 筑前黒田家第六代藩主 黒田継高の子 厚姫(はじめ糸)
眞含院 筑前黒田家第六代藩主 黒田継高の嗣子 黒田重政 正室 菊姫(島津継豊の娘)
瑤津院 筑前黒田家第七代藩主 黒田治之 正室 幸姫(はじめ亀姫)
寶林院 筑前黒田家第十代藩主 黒田斉清 正室 徳姫福子(二条治孝の娘)
昌光院 筑前黒田家第十一代藩主 黒田斉溥 正室 純姫墨子(黒田斉清の娘)



筑前黒田家供養塔(乾光院)

筑前黒田家供養塔(乾光院他)は、和歌山県高野山奥の院31町石北にある。
加賀金沢前田利長夫人供養塔南側の参道を東に約10m入った場所に三基の五輪塔が並んでいる。
向かって左(南)から順に次の供養塔が確認できる。

寶乗院 筑前福岡藩第四代藩主 黒田綱政の娘 久姫。
乾光院 筑前福岡藩第四代藩主 黒田綱政の子 黒田吉之(初名 政之)
心空院 筑前福岡藩第四代藩主 黒田綱政の正室 六姫(呂久姫)(立花忠茂の娘)





筑前黒田家供養塔(江龍院他)

筑前黒田家供養塔(江龍院)は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院32町石と水向け不動を結ぶ東側参道の東側にある。

北側に玉垣に囲まれた五輪塔があり、地輪には、次のように刻されている。
   寶永四丁亥年
   江龍院殿
  (梵字ア)  大居士
   淳山宗眞
   五月廿日捐館

筑前福岡藩第三代藩主 黒田光之(1628-1707)の供養塔である。
新訂寛政重修諸家譜によると、初名は長之(ながゆき)で、慶安元年、徳川家光から諱字を賜り、光之と改めた。
高野山真言宗を厚く信仰し、生母 養照院の供養塔を奥の院に建立している。

南側墓石には、次のように刻されている。
   従二位勲三等黒田長溥公墓
 (裏面)施主 福岡藩士族 長谷川正綱

筑前福岡藩第十一代藩主 黒田長溥(ながひろ)(1811-1887)の供養塔である。
島津藩主島津重豪(しげひで)の十三男として生まれ、文政5年(1822)第十代福岡藩主 黒田斉清の婿嗣子となり、黒田斉溥と称し、維新後に名を長溥と改めた。→ 島津重豪供養塔
墓所は、東京都の青山霊園にある。







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