西教寺は、滋賀県大津市坂本にある天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の総本山である。
戒光山兼法勝(かいこうざんけんほっしょう)西教寺と称する。
推古天皇26年(618)聖徳太子が恩師の高麗(こま)僧 慧慈(えじ)、慧僧(えそう)のために創建したと伝えられる。
その後荒廃していたが、天暦年間(947-957)に天台座主の元三慈恵(がんさんじえ)大師良源上人が復興再建して念仏の中央道場とした。さらに恵心僧都も入寺している。
鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺した恵鎮(円観)上人は、最澄が畢生の大事業として提唱した大乗円頓戒を復興した。
文明18年(1486)に比叡山で修行した真盛(しんせい)上人が入寺し、堂塔と教法を再興して不断念仏を始め、現在もその伝統が受け継がれている。
元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちで焼失したが、坂本城主となった明智光秀が檀徒となって、天正2年(1574)に再建された。
天正18年(1590)には、山城粟田口にあった法勝寺(ほっしょうじ)と合併した。
明治11年(1878)、明治政府によって別派独立が公許され、「天台宗真盛派」の本山となった。
昭和16年(1961)に天台三派合同となったが、昭和21年(1946)に天台宗三派、延暦寺(山門)、三井寺(寺門)、西教寺(盛門)が分離、天台宗真盛派を「天台真盛宗」と公称して独立し、全国に400余りの末寺を有している。
総門(高さ6.4m幅5.6m)は、天正年間に明智光秀が坂本城門を移築したと伝えられている。
本堂は、桁行七間、梁間六間入母屋造りで、江戸時代の元文4年(1939)に落成したもので、重要文化財に指定されている。
本尊の木造阿弥陀如来坐像は、信楽の浄福寺から移したものである。
本堂西側の客殿は、豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、慶長3年(1598)に大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊内室が寄進したもので、内部には狩野派の絵が描かれている。
境内には、宗祖である円戒国師慈摂(じしょう)大師真盛上人の御廟があり、墓地には明智光秀一族の墓、加賀前田公息女菊姫の墓などがある。
京阪電鉄石山坂本線又はJR湖西線比叡山坂本駅からバスで西教寺下車すぐ。参拝者用の無料駐車場がある。→ 明智光秀ゆかりの地
萬日大法会
墓地手前には、萬日供養塔が並んで建てられている。
真盛上人が44歳で西教寺に入寺した時、弥勒菩薩が下生する五十億年後まで不断に念仏を相続しようとの大誓願を立てた。
そして、上人の滅後一萬日(27年4カ月)に、萬日法会が行われており、その記念に建立されたものである。
令和3年(2021)11月2日から8日まで 不断念仏相続 十九萬日大法会が行われる。