下鴨神社は、京都市左京区にある神社である。
正式には、賀茂御祖(かもみおや)神社という。上賀茂神社を上社、下鴨神社を下社として賀茂社と総称されている。
賀茂御祖神社の「かも」は、古代の国名であり、文字も鴨のほか様々に用いられていたが、大宝年間(700年頃)から「賀茂」となった。地勢的に見て、鴨川の下流にまつられているところから、下鴨神社と通称で呼ばれるようになった。
祭神は、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)である。
日本書紀や古事記では、賀茂建角身命は、金鵄八咫烏として表し、農耕を広め民生の安定に努めた功績を伝えている。
社伝では、神武天皇の御代に比叡山山麓の御現山(みあれやま)に祭神が降臨し、崇神天皇の代に神社の瑞垣が造営されたと伝えている。
平安遷都後は王城鎮護の社として朝廷はじめ公家や武家の崇敬を集め、源氏物語などで当社の葵祭(賀茂祭)が描かれている。
境内全域が、国史跡で世界文化遺産に指定されている。
社叢は糺の森と呼ばれ、古くから禊を行うところとして知られ、祭祀遺構や祭壇遺構が復元されている。
楼門内には、神服殿、舞殿、橋殿、細殿、供御所などの建物が並び、四脚中門の先には、国宝の東本殿と西本殿がある。
境内には、摂社の河合神社、三井神社等が建っている。
京阪電車出町柳駅下車徒歩10分。参拝者用の有料駐車場がある。
葵祭は、5月15日行われる上賀茂神社と下鴨神社の例祭である。古くは賀茂祭(かものまつり)といい4月の中酉日(なかとりのひ)に行われた。
祭儀に関わる人々から牛車、氏子の家の軒下にいたるまで双葉葵を掛けたことから、葵祭といわれるようになった。
石清水祭、春日祭とともに三大勅祭の一つで、石清水祭を南祭(みなみのまつり)と呼んだのに対して、北祭(きたのまつり)ともいわれた。
勅使を中心とした本列と、斎王代を中心とした女人列が、午前10時に御所を出発し、下鴨神社に詣でた後、午後3時半頃に上賀茂神社へと赴く。
源氏物語では、六条御息所(みやすんどころ)と葵上(あおいのうえ)が、見物のために牛車の場所を争った話が描かれ、枕草子、徒然草にも葵祭が取り上げられており、京の人々にとって「祭」といえば、この葵祭を指すほどであったことがわかる。