下大和橋の碑は、大阪市中央区下大和橋北詰にある。
碑面には、次のように記されている。
下大和橋の碑
こころこころの 商いも みな世渡りの大和橋
下いく水の泡よりも 色にぞ銀は消えやすく
― 生玉心中 中巻 大和橋出見世の場 ―
近松門左衛門の戯曲 生玉心中の舞台ともなった
本橋付近の島之内 道頓堀界隈はまさに庶民の生活の舞台であった
現在もこの橋の南側には国立文楽劇場や二ツ井戸があり
賑わいのある道頓堀とは一線を画し 上方文化の香りの残る地区となっている
江戸時代 このあたりには大和橋と中橋の二橋が架かっていたが宝暦年間に大和橋が廃され
道頓堀川にそそぐ東横堀川に上大和橋が掛けられたことにより中橋が下大和橋となった
本橋であった下大和橋が永久橋となったのは昭和三年(一九二八年)のことで
昭和六十二年(一九八七年)の架け換えの際に橋面空間の演出に重点をおいた整備が行われた
平成二年六月 大阪市
生玉心中は、近松門左衛門作の世話物人形浄瑠璃である。角書は「嘉平次おさが」で、正徳5年(1715)5月に大坂竹本座で初演された。
大坂伏見町のおさがとなじんで借金に追われていた茶碗屋の嘉平次が、悪友 長作に金を奪われ名誉を傷つけられたことのために、生玉神社の境内で心中を遂げるという物語である。
おさが嘉平次の事件の実説は明らかでない。
曽根崎心中のお初、徳兵衛の13年忌を当て込んだ作品で、曽根崎心中を踏まえた上で新たに嘉平次の父や姉、許嫁などの情愛が強調され、主人公の悲劇がさらに複雑で深いものとなっている。
初演時以降の人形浄瑠璃での上演は行われていない。