淀君、豊臣秀頼五輪塔 (修復前) → 修復後の淀君、豊臣秀頼五輪塔
淀君、豊臣秀頼五輪塔は、和歌山県高野山奥の院の上杉謙信霊屋西側にある。
淀君(1567年-1615年)は、豊臣秀吉の側室で、豊臣秀頼の母である。
父は、近江浅井郡小谷城主の浅井長政、母は織田信長の妹 お市の方である。→ 高野山浅井三姉妹ゆかりの地
天正元年(1573年)に信長に包囲された小谷城から、母妹とともに脱出した。
1582年に柴田勝家に再嫁した母に従い、越前北之庄(福井)城に入った。
1583年に北之庄(福井)城が落城し、豊臣秀吉に庇護された。
その後、秀吉の側室となり、鶴松と秀頼を生み、元和元年(1615年)に大坂城落城により、秀頼とともに自刃した。
淀君五輪塔の総高は295cmで、上から3番目の火輪の半分が欠損している。墓石には、次のように刻されている。
御取次筑波山知足院
(梵字ア)大虞院殿英岩大禅定尼尊儀
慶長貮十乙卯年五月七日
淀君の墓所は、大阪市北区の太融寺にある。
豊臣秀頼五輪塔は、総高302cmで、上部が欠損している。
銘文は、次のように記されている。
御取次筑波山知足院
(梵字ア)嵩陽院殿秀山大居士尊儀
慶長貮十乙卯年五月七日
秀頼の首塚は、京都市の清凉寺にある。 → 高野山奥の院豊臣家墓所