明智光秀の胴塚

明智光秀の胴塚は、京都市山科区勧修寺御所内町にある。
明智光秀(1528?-1582)は、天正10年(1582)6月2日、本能寺に宿泊していた織田信長を急襲し自害させた。(本能寺の変)
その後、光秀は6月13日の山崎の合戦で羽柴秀吉軍に敗れ、勝龍寺城から坂本城に逃げる途中、
小栗栖の竹藪(通称「明智藪」)で、落ち武者狩りをしていたと思われる土地の者に竹やりで突かれて深手を負い、自害して家臣に首を打たせたと伝わっている。
光秀の首は、家臣によって隠されたともいわれるが、吉田兼見(よしだかねみ)という公家が記した日記「兼見卿記」によると、光秀の首は6月15日までに発見された。
6月18日からは、粟田口(左京区)で重臣斎藤利三(としみつ)の首とともに数日間晒され、6月22日、23日には近くに埋め、塚を築いたことが記されている。→ 明智光秀首塚
また、「明智藪」近くのこのあたりに、光秀の遺体(胴体)が埋葬された「胴塚」があったと伝えられている。
「明智光秀之塚」の石碑は、こうした伝承を伝えるため、昭和45年(1970)10月に、地元山科の有志によって建立された。
京都市営地下鉄東西線小野駅下車、徒歩10分。



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