佐久間将監(實勝)供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院御廟橋手前の参道階段を約15m東に登り、岡山県老人供養塔の南側10mのところにあり、すぐ西下には織田信長墓所がある。
佐久間将監實勝五輪塔の地輪には、次のように刻されている。
爲佐久間将監實勝 宗可 菩提
爲寸松庵山隠居士
寛永十九壬午年九月廿二日
(裏)御宿坊 見樹院
佐久間佐吉之無縫塔には次のように刻されている。
盡峯空縁禅定門
佐久間佐吉殿爲御菩提也
御宿坊 見樹院
施主御内儀稲葉丹後守御息女
寛永十八辛巳年正月十八日卒
佐久間将監實勝(1570-1642)は織豊、江戸時代の武士、茶人である。
豊臣秀吉の小姓を経て、徳川家康、秀忠、家光の三代将軍に仕え、作事奉行をつとめた。
古田織部に茶道を学び、晩年、京都大徳寺に寸松庵を建てて号とした。
寛永19年10月22日に73歳で死去した。(墓石では、9月22日となっている。)
江戸時代に作られた紀伊國名所図会の奥の院図面では、燈籠堂南側の「イナバ春日」のすぐ北側に「さくま将監」が描かれている。
また文政5年(1822)に作られた南山奥之院諸大名石塔記でも次のように記されている。
稲葉春日 興山寺
佐久間監物殿 興山寺
稲葉丹後守殿
福田千鶴氏著「春日局」第4章には、春日局の親しき人々が紹介されており、
〇将監殿御内儀(堀田正盛の姉、佐久間将監実勝の妻)
が含まれている。
また、横浜市の三渓園にある聴秋閣は、徳川家光の命を受けて幕臣佐久間将監実勝が二条城内に建築し、家光の乳母であった春日局に下賜されたものである。
建築後、春日家の実家である稲葉家に移築された。
従って、春日局と佐久間将監夫妻は親交があり、春日局供養塔の前には、「春日局及佐久間将監墓所」と記した案内柱が建てられている。
一方、水原堯榮氏「高野山金石図説」によると、佐久間實勝供養塔(高さ七尺五寸)は、御供所西方丘上北向(現在の建立場所)にある。
いずれかの時点で、現在の建立場所に移設されたものと考えられる。
昭和54年(1979)に刊行された宮川良彦氏の「高野百佛」に、「廃絶大名 無縫塔の主は誰か」として、この無縫塔が紹介されており、昭和54年の時点で、現在場所にあったことがわかる。
佐久間佐吉無縫塔の施主は、御内儀稲葉丹後守御息女となっている。
稲葉丹後守は、老中の稲葉正勝で、稲葉正成と春日局の子として生まれ、三代将軍徳川家光の乳兄弟として育った。
南海電鉄高野線高野山駅からバスで奥の院前下車、徒歩15分。中の橋駐車場がある。
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