浅井長政供養塔

浅井長政供養塔は、和歌山県高野山の奥の院にある。
浅井長政(1545-1573)は戦国時代の北近江の大名で、幼名は猿夜叉丸、備前守と称した。
浅井氏の3代目として全盛期を築いたが、織田信長との戦いに敗れて29歳で自害した。
供養塔は京極高次に嫁いだ次女のお初(常高院)が建立したといわれ、大津籠城戦死者供養塔の東側にある。
宝篋印塔の銘文は、次のように刻されている。
   江刕浅井備前守殿
   爲天英宗清大居士菩提
   文禄元年九月朔日
なお、浅井長政の長女 淀殿は、天正17年(1589)に鶴松を産み、父母の追善供養(父17回忌及び母お市の方7回忌)を豊臣秀吉に願い出た。
この時に書かれた浅井長政画像とお市の方画像は、高野山持明院に残されている。
そして鶴松の病死後、文禄2年(1593)8月3日に豊臣秀頼を産んでいる。
この年は、亡き父浅井長政の二十一回忌に当たっていたため、淀殿は秀吉に「亡父浅井長政の菩提のために一寺を建立したい」と願い出て、文禄3年5月に養源院が建立された。
浅井長政の三女 お江が、徳川秀忠に嫁ぎ、三代将軍の家光を生んだため、浅井長政は将軍家光の外祖父となり、寛永9年に従二位中納言の官位が授与されている。
南海高野線高野山駅からバスで、奥の院前下車、徒歩15分。



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